雑感と呼ぶのも恥ずかしいほどの雑感

『シン・エヴァンゲリオン』観てきました。

観終わったらどんな感情が渦巻くのかと思っていたのですが、思ったよりは冷静にいられました。まあ『シト新生』『まごころを、君に』の経験がありましたからね(笑

 

まずは、主要スタッフ・キャストに大きな欠員がなく、無事エンドマークが打たれたことに、大きな感謝を。

今後、新シリーズなどが生まれる可能性も十分にありますが、それはいわば「新生」になるのかなと。この20年、本当に楽しませていただき、ありがとうございました。

しかし、放送当時(と言ってもリアルタイムでは観られなかったので、2ヶ月に一度のセルビデオを購入してみたのですが)はシンジに感情移入していたはずなのに、今ではゲンドウに自己投影するようになろうとは(笑

 

こっからはネタバレも。

 

初見の感想としては、まさかここまで、全キャラクターに「おしまい」を用意するとは思いませんでした。

特にケンスケとトウジ。というか、『Q』のあの演出からトウジを出すのは反則でしょう(笑 でも嬉しかったのでよし。もしかしたら『Q』の時点では出す予定ではなかったけれど、全キャラクターの結末を用意したくなったのかなあと。別作品でも思ったことなのですが、「今日を生きていく」というメッセージ性を強く感じました。

 

レイはちょっとかわいそうな扱いに感じられたけれど、道具として生まれた存在が、新たに人としての生を得るためには、一度死を通過しなければならなかったのかなあとも思います。

そしてレイと近しい存在に、まさかカヲルがなろうとは。思えば最も掘り下げられた人の一人が、カヲルだったのかも。

アスカとシンジの関係性は割と納得度が高いというか、『序』の頃はお互いを意識しあっていたけれど、それはどちらも子供であり、狭い社会内でのみ生きてきたから、と考えれば、大人となって社会が広がれば、その感情からの卒業は十分に理解できるのかなと。相手(の候補)がケンスケなのは、ちょっとつじつま合わせの感があったけれど、あれだけ立派な大人になったのなら、まあOKかな。

 

ミサトは、事前に「シンジとミサトが結婚」という嘘ネタバレを見たせいで、あのラストはちょっと驚いてしまった。というか、ラストのラストまでそうなるんじゃないかと思いながら見てました(笑

ずっとサングラスで表情が見えず(本音を見せず)、クライマックスでサングラスが外れてからの生き生きっぷりが快感だっただけに、数少ない死者に(リョウジ含めて)なってしまったのは寂しくもあり。

 

いろいろ思うままに書き連ねているけど、ストーリー性とかテーマに対してはほとんど書けていないなあ(笑 やっぱりこの手のアウトプットが下手くそだ。

 

まあ一旦はここまで。また2回目の視聴後に続きを書くことにします。